1956-03-26 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第9号
○小堤参考人 私は一九四五年樺太庁の外事警察の仕事をやっておりました関係上、それを理由に、十二月の十七日いまだソ連軍の爆撃を受けておりましたさなかに抑留されました。当時の樺太の事情は、いろいろ御承知の方も多いと思いますが、私、国境方面のエストルという地区におりまして、その地区は陸岸あるいは海岸からの双方からソ連軍が上陸しました。ちょうどはさみ撃ちになったような関係でありまして、住民の大半は、東海岸の